チキチキガーデン

シンプルライフを目指して何かしらする記録ブログ

『新しい道徳』を読んだら学生時代の黒歴史が脳内からドクドクと溢れ出てきた

f:id:yukamoga:20160427195347j:plain

北野武の『新しい道徳』を読んでいます。
普通に面白いし、「なるほど」と膝を打つことが多いです。

内容は、おもに小学校で教える『道徳』に対するツッコミなんですが、読んでいると学生時代の自分の黒歴史が頭をかすめて胸が痛いです。

私は、学生時代、クラスに馴染めない子でした。

詳しくは、上の記事を読んでいただきたいのですが、おそらく今で言うところの『コミュ障』だったのだと思います。

クラス会議という私刑

まだ、今の学校で同じことをやっているとは思いたくありませんが、私が子供の頃は『クラス会議』という名の、吊し上げ授業が道徳の時間によく開催されていました。

「A君が、Bさんのことを悪く言っていました。そういうことは良くないと思います。みんなはどう思うか、クラスで話し合いましょう」というヤツです。

予め答えが用意されている中での、A君吊し上げ学級会。

みんなが「Bさんが傷つく」「下級生がマネをするかもしれない」「まわりの人も注意しなかったはいけない」と口々に言い合い、A君が謝るまで決して許されることはありません。

先生の意図に沿いつつ、ちょっと別の角度から意見を言うと、「いいこと言うね」と一目を置かれるのが気持ちよくもあり。

小学生の頃、あんなことで「正義を果たせている」と思っていた自分の頬を引っ叩いて目を覚ましてやりたいです。

中学校では自分がターゲット

私は中学一年生で仲の良かった子たちと離れ離れになり、新しい友だちもつくることもできませんでした。

だんだん孤立していき、学級内作業でも足を引っ張ることしかしなかった私は、いつしかクラスの中の問題児に。
同じく男子で孤立していた人物がいて、二学期半ばの席替えで隣になりました。

誰もが私やその男子の隣の席になるのを嫌がる中での、この配置。
「ラッキー♪」と胸をなでおろす人もいれば、「ププー、お似合いw」と嘲るクラスメイトもいました。

人見知りなくせに偏屈で頑固だった私は、クラスの連中の思い通りになるものかと、その男子と机をつけることを断固として拒否しました。
(当時、男女2列で机を付けて授業を受ける決まりでした)

奇しくも席は最前列。先生が立つ教卓の真ん前。
みんな揃って机を並べている中、ずいぶんと目立つ場所で反逆したものです。

先生は軽く口頭で注意をし、私はそれを無視しました。
そして注意されればされるほど意固地になり、むしろ最初は3cmくらいだった机の距離も、最後は20cmくらい離れていました。

恥ずかしながら、その「いじめられている男子生徒と自分は違う」と。
────「同類扱いするな」と、思っていました。

この時点で、その男子生徒を自分より下にランク付けしていたという、絶望的なまでにどうしようもない矜持が見え隠れするのですが、ここでは反省するだけにとどめておきます。

ともかく。それから数日後、例のクラス会議です。

学級会の冒頭で先生がわかりやすく「今、クラスで何か問題あると思う人はいませんか」と誘導しました。
すぐさまお調子者の男子が手を上げ、半笑いで「最上さんが、○○君と机をつけようとしませーん」と述べました。

ここから1対39の地獄のクラス会議の始まりです。

先生はおそらく金八先生のような展開を望んでいたのだと思います。
みんなが活発に意見を出し合い、上から目線で担任から命令されるでもなく自分の意志で間違いを認め、正して欲しい。

ただ、ドラマがうまいこと問題を解決できるのは、そうなるよう脚本に書かれているからです。

先生とクラスメイトたちの公式見解は、『私が当該男子を迫害している』ということでしたが、当の本人にとってはそうではありません。
(当該男子は、自分の立ち位置が定められずオロオロして成り行きに任せるような感じでした)

もし誰かが私の味方になってくれていたか、または私への度重なるマウンティング行為をやめるような方向に話がもっていかれたなら話は別でしたが、案の定そういうことにはなりませんでした。

クラスメイトたちは、先生が用意した公開私刑場に自発的に乗り出し、『団結力』だとか『クラスの輪』だとかの道徳を振りかざして、私を改心させようとします。
きっと今なら『絆』とかいう単語も出てきたことでしょう。

しかし、みんなの言う『みんなの平和』の中に、私は含まれてはいませんでした。
だからこそ、その平和を守る義理はなく、私は自分を守るために行動し続けました。

ここで私が間違いを認めるということは、私の中での敗北宣言を意味します。

ですが当時の私のボキャブラリーで、クラスメイトや先生にそれを伝えることはできませんでした。
むしろ、その頃、ここまで明確な意図は自覚できず、ただ「なんとなく従いたくない」から従っていなかったのです。

私の理論的思考や倫理性もない意見はすぐに底をつき、後はひたすら黙って時間が過ぎるのを待つようになりました。

そんな不毛なクラス会議が3回か4回か行われた後、ついには伝家の宝刀「解決するまで帰れないよ」宣言が、先生より言い渡されました。

いよいよもって『クラスみんなに迷惑をかけてる最上さん』の出来上がりです。

大会前の部活に行けない野球部員から非難の声があがります。
塾に通っている子からも、その日誰かと遊ぶ約束をしていた子からも。

当時の私はクラスメイトたちを仲間と思っていませんでしたので、いくら迷惑がかかろうとも「知らんがな」と自分の意見を曲げることはしませんでした。

それにしても、たかだが『隣の席と机をくっつけない』というだけで、よくもこれだけの憎しみを向けられたものだと、今となっては驚きです。

ともかく、こうして時が経って、次の席替えまでやり過ごせるかな?と、思っていた矢先。
とうとう敗北を認める時がきました。

先生が学校に親を呼んだのです。

家では何もないよう装っていただけに、親も私もショックでした。
母は泣いて詫び、私は間違いを認めて反省文を書きました。

先生は「やっとわかってくれた」とご満悦でその反省文をクラスで読み上げ、クラスには平和が舞い戻りました。

その後はイジメに関する社会問題がチラホラと目立ち始め、私へのあからさまなマウンティング行為は全体的に控えられるようになって、やがてクラス替えを迎えました。


長々と語ってしまいましたが、ここまで私の思い出語りです。

なるべく「うらみつらみ日記」にならないよう気をつけているのですが、どうしても主観が入って「可哀想な自分」を演出したがります。

当方、聖人ではありませんので、気分を害された方はご容赦ください。

最初の話しに戻ります。

『新しい道徳』という本を読み、どれだけ学校で教わった道徳の授業がバカバカしかったかを今更ながら考えさせられました。

学校というのは歪なところで、そこで醸成された正義は、多くの人にとっては正義でも、万人にとっての正義とはならない。
『クラスのルール』は法律とは全く違うのです。

学校で特定多数の人物と多くの時間を共に過ごすことは、マナーであったり道徳であったり、協働と社会規範を学ぶ良い機会でしょう。

でも完璧なシステムなんて存在しなくて、誰もが心から誰とでも仲良くなれるわけではありません。
複数人が存在するクラスやグループの中で、みんながみんな寸分違わぬ価値観を持つことは不可能です。

誰かにとって「大切」なことでも、誰かにとっては「そうでもない」ことがある。

そこで譲り合いや妥協点を見つけて、なんとか折り合いをつけて過ごしていく方法を学ばなければならないところを、学校ではあまりそういう教え方はしません。
「みんな違って、みんないい」とは言いますが、「自分の理想通りに、相手が考えてくれるとは限りません」とか「人の悪いところを諦めましょう」とは言いません。

それは道徳の教科書に書かれていることと矛盾してしまうからです。

「他人に理想を求めるな」という教えは、「自分も、他人(先生や親)の理想通りにならなくていい」という思想の裏表です。
ヘタなことを言うと、教育に余計な手間がかかってしまいます。

そうして何らかの理由によって「正しいことを行えないひと」はその理由を考える時間も与えられず、「ダメ人間」の烙印を押される。『絆』とか『団結力』とか、あらゆる耳障りの良い言葉を駆使して、対症療法が試され原因究明はされません。

言語化するのが難しいニュアンスを小中学生が伝えることは不可能に近く、また「正義は我にあり」と思っている人間が、それに耳を貸すこともほぼありません。

あの時、私は『クラスのルール』は守れなかったけれど、大人になった今、一般的な善悪の区別はつくし、普通に社会の一員として働いています。
たくさんの人に迷惑をかけ、お世話になりもしたが、今のところ「真っ当な人間」として暮らせているのではないでしょうか。

今の時代、『クラス会議』があるかどうかもわからないけれど、もしあったとして、自分や身近な人が圧倒的不利な状態で吊し上げにあっても、深刻に受け止めすぎなくていいです。

クラス会議のできごとが、自分の人生において何かの意味のあることだったか、無理やりこじつけると「学校というシステムは、まだまだ改善の余地があることがわかった」とか、「クラスに馴染めなくても、どうとでも生きていける」ということかもしれません。

PTAで仲良くなった親友(おやとも)の中には、子供の一人が学校にいけなくなって悩んでいる人がいます。

私の娘も短期間、不登校になりました。
(別のクラスの友人が助けてくれることによって、長期化せずにすみました。閉鎖的な空間で頼るべきは、外部の人間です)

そこを考えると、今は子供が不登校になることはおかしなことではないし、それで「人生ヲワタ」と悲観する必要はまったくありません。
むしろ、人から教わった薄っぺらな正義を盾に同級生をやり込め、優越感にひたる人間にならずにすんで良かったのだと、私は思います。

痛みを知る人間の方が、他人の痛みにも気付くことができる。
人を責める技術だけがあがっても、今の自分を良い方向に変えることはできないからです。