チキチキガーデン

シンプルライフを目指して何かしらする記録ブログ

お願いだから、何もしないで。


ときどき小さいころを思い出し、何かを感じていても的確に言語化できなかったことを、今ごろ分析しています。
今回は、自分がクズだったころのお話しです。

『臆病』が度を越して、何もやらない

小学生の頃。体を動かすことは苦手でしたが、わりと手先は器用でした。
…が、何もできない子どもでした。

とにかく人見知り、臆病、警戒心がとても強く、初めてのことや、わからないことがあると逃げていました。

休み時間にトイレに行けず、家まで我慢できず通学路でお漏らししたり。
授業中、先生に当てられて答えがわかっていても、「わかりません」と答えたり。

ひとにとって当たり前のこと。やってみれば全然なんてないことに怯えているような子どもでした。
それが小学校低学年までだったら可愛いものですが、中学年まで続き、やがて正義感の強い同級生たちのやり玉にあげられるようになります。

学級レクのフルーツバスケットで3回負けて罰ゲーム。
みんなは潔く『カエルの歌』を歌っているのに、私はガンとして歌わず。

クラス中、何かしら「生活係」とか「生きもの係」とか役割を与えられますが、当番の日が来てもやりませんでした。

友だちと一緒にならできる。でも一人だと何もしない。

当然、クラスから孤立していきます。
『イジメめられている側にも問題がある』という言葉を聞くことがありますが、過去の自分は典型的なソレだったと思います。
(自分で反省すべき点は多々ありますが、それを理由にイジメられても仕方なかったとは、今は思いません)

よくニュースに出ているような暴力的な被害を受けたことはありませんが、嫌味を言われ、陰口を叩かれ、からかわれる対象になっていきました。
そうなってくると、もう事態は好転しません。

周囲の人間が「自分の失敗を期待する」ようになったのです。
授業中、答えを間違えばクスクスと笑われ、忘れ物をして先生に怒られれば「叱り方が足りない。もっと怒れ」と先生に直談判する人が現れ。

笑えばキモいと、喋ればうるさいと、間違って触れれば「うわあ!」と叫んで逃げられ。
ありがちな「菌がうつる」という言葉を信じていた女子に泣かれた時は、さすがにショックでした。

お願いだから、何もしないで

わりとマイペースだったり、少人数ですが友人にも恵まれ、登校拒否とかにはなりませんでした。
友人とはクラスが別だったので、休み時間は楽しく過ごせませた。
授業中だって、体育の時間以外は先生の話を聞いていれば、だいたい時間が過ぎていきます。

そうして迎えた中学の文化祭。

私には、誰にでもできる簡単な仕事が割り当てられました。
ですが役だけ与えられて、作業の細かいこと・ゴールは教えてもらえず。

当時、びっくりするくらいプライドだけは高かったのでひとに尋ねるようなことはしませんでした。
本当にこの辺がクズのクズたる所以だと思います。

そして周囲の人間を横目で見ながら手探りで「こうかな?」とやっていましたが、盛大な間違いをやらかし、みんなで作っていた制作物は最初からやり直しをすることに。

その時、クラス委員が私に言いました。

「最上さんは、お願いだから、何もしないで」

誰も私を庇うことはありません。先生すらも。

社会人になってからは、ごまかしながら人並みを装えるように

相変わらずの人間関係不器用人間で、いろいろな人に迷惑をかけながら生きてきました。
たくさんの人に教えられ、たくさんの人にお世話になりました。

そして結婚相手に巡りあい、今までの消したい過去を水に流せるほどの自己肯定を得ることができました。

そうして娘を出産し、育児に翻弄され、離婚し…。
いろいろと人間について社会勉強することで、恐らくやっと人並みになってきたのではないかと思います。

少なくとも、その場をやり過ごすだけの「ウソ人並み」を装うことはできるようになっているハズです。

今でも不意に呪いの言葉が頭をよぎる

もう35歳。いい大人です。
肥大化した自意識をありがたがったり、下手な『失敗を期待されている』みたいな被害妄想でウダウダ悩んでいる時間がムダだと考えるようになりました。

ですから動ける時は動く。
「人がどう思うか」はあまり気にしないようにして、「自分がどう思うか、どう感じるか、どうなりたいか」に意識を集中するようになったと思います。

それでも、それができるのは「何が起こるか」が予想できる時のみ。
たとえば未知の世界。ひと前で話しをしなければいけなくなった時、初めてのお客さまの会社へ訪問する時などは二の足を踏んでしまいます。

失敗したくない。失敗したら恥ずかしい。失敗したことを上司に報告され怒られる。

「お願いだから、何もしないで」

まるで呪いの言葉であるかのように、頭であの時の言葉を囁く声がします。
目の前で作業している人がいる。私が少し手助けするだけで良い関係へと進めていけるだろうに、まったく動けなくなります。

大人になれば、周囲は思った以上に寛容な世界でした。
…というより『教室』という囲いがなくなったせいで、私のことは放っておいてくれるようになった。
ミスはミスとして対処し、個人攻撃をしてくるような人は、ほぼいなくなりました。

それがわかっているのに動けない時がある。
おそらく「何が起こるか」わからなくなった時、『臆病な自分』が顔を覗かせ、自分を守るために自分で囁いているのだと思います。

「何もしなくて良い。何かしたら逆に誰かの迷惑になるかもしれない。だから大人しくして邪魔にならないよう隅っこで黙っていよう。私には辛い過去がある。『やらなくて良い理由』があるんだから、何もしなくて良い」

言い訳にしない

失敗を恐れない人への憧れがあります。存在を否定されず、やりたいようにやって生きてきた人。
人から否定されたことがないので、人の手助けになると思ったら、迷わず手を差し伸べることができる。

彼ら、彼女らはいつもキラキラして人生いつもイージーモード。
人を助け、人に助けてもらい、協力しあって何か一人じゃできないことを成し遂げていく。
羨ましさを通り越し、たまに闇の部分が顔を覗かせ妬ましさすら感じます。

ですが『妬み嫉み』で過ごす時間が、やっぱり無駄です。
どんだけ彼ら、彼女らが手に手を取って猛ダッシュで私を追い越して行っても、私は私のできる範囲で、「やりたいこと・やるべきこと」をひとつひとつこなしていこうと思います。

「お願いだから、何もしないで」
そうクラス委員長が言った時から、先生がそれを無言で肯定した時から、私はそれを何度も利用して『可哀想な自分』を欺瞞してきました。

自分で自分を守るため。
ですが、これからは『呪いの言葉』を言い訳にせず、「やるべきことをやる」人間へと変わっていきたいと思います。